どんな組織でも150年も続くと、その歴史そのものに価値が生まれ、存続させること自体が目的化してしまうことがある。しかし慶應義塾においては、決してそのようなことがあってはならない。
福澤諭吉の没後、門下生たちは塾を今後どうするべきか話し合った。「福澤先生あっての義塾だったのだからこの機会に解散しよう」という意見も出た。
福澤自身は「自分の没後も受け継いでいって欲しい」というような遺志はどこにも残しておらず、むしろ福翁自伝の中で「必要がなくなったらいつ閉塾しても別にかまわない」と述べていた。福澤は当時の封建的な制度を「親の敵(かたき)」とまで言い切ったほど、伝統やしきたりに縛られることが大嫌いだったのである。
しかし門下生たちは「みんなで力を合わせれば、これからも福澤先生の先導的な教えを日本に広めていくことが出来るのではないか」と考えて、塾を存続させることにした。だから義塾が150年も続いていることに対して一番驚いているのは福澤諭吉かもしれない。
慶應義塾は150年の歴史の中で数多くの伝統を残してきた。これらを貴重な文化として保存することは重要であるけれども、伝統に縛られて時代を先導する福澤精神が多少なりとも色あせてしまうようなことがあるとすれば、本末転倒も甚だしい。そもそも、過去150年の伝統を守ることよりも、150年後の伝統を創るほうがはるかに面白いではないか。「伝統」もはじめは「非常識」からはじまる。学生と教職員が一体となって面白いことを考え、多少無鉄砲であっても思い切って実行してみる。福澤諭吉はそんな面白半分な雰囲気をSFCに期待していると思う。
(掲載日:2005/11/24)
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