競馬界の祭典、第91回日本ダービーは、伏兵ダノンデサイルの優勝で幕を閉じた。
当初逃げるであろうと予想されていた馬が出走回避。レースは最初の1000mを62秒2という至上稀に見るスローペースで進み、4角から直線での熾烈な攻防へ。そんな中、スッと1頭、内ラチ沿いを突く馬がいた。ダノンデサイルだ。残り300mで抜け出すと、2着のジャスティンミラノを2馬身突き放し、そのままゴール板を駆け抜けた。
鞍上は横山典弘騎手。私は勝手に「典さん」「横山パパ」と呼んでいる。私と同世代(同い年?)の、文字通り競馬界のレジェンドのひとりだ。名手と謳われた横山富雄騎手(故人)を父に持ち、2人の息子たち(横山和夫騎手、横山武史騎手)も父の後を追う、3代に渡る騎手一家の当主だ。ダービーは3勝目。ウイニングランで見せた笑顔、あれほどに嬉しそうな典さんは久しぶりに見た。2022年にドウデュースで勝利した武豊騎手の記録を更新し、ダービーを含む JRA G1 最年長勝利騎手(豊さんはダービー当時53歳)となった。豊さんが何かのインタビューで、自身を含む当時現役だったベテラン騎手仲間5人(柴田善臣騎手、小牧太騎手、熊沢重文騎手、典さんと豊さん)を、冗談まじりに「5G(爺)」などと呼んでいたことを思い出した。典さんや豊さんの活躍は、同世代の我々に勇気と元気を与えてくれる。
典さんのことは、古くはいわゆる98最強世代の一角、セイウンスカイの主戦騎手といえば、某コンテンツ(cv. 鬼頭明里さん)からこの世界に足を踏み入れた世代にも伝わるだろうか。セイウンスカイと横山家には、面白いエピソードがある。セイウンスカイは、98年のクラシック初戦皐月賞に勝つと、日本ダービーは4着に終わったものの、クラシック最終戦の菊花賞では、序盤でハナをとると終始後続を大きく引き離し独走、そのまま押し切って制し堂々のクラッシック二冠馬となる。
ときは流れて2021年の菊花賞。息子の武史騎手が騎乗するタイトルホルダーが、父と同じく逃げの戦法をとる。最後は2着に5馬身差を付けて圧勝。淀(京都)と仁川(阪神)というコースの違いはあれ、スタート直後にハナを切るところから、1週目スタンド前までに縦長の展開に持ち込む戦略、最後の直線で後続をさらに突き放す豪快な勝ちっぷり、そしてゴール後に左手を空高く突き上げる姿まで、全てが親子でそっくり。まるで23年前のゴールシーンを再現しているようだった。
典さんといえば、馬の気分に合わせて、馬の気分を害さぬように、馬が気分良く走れることを第一に騎乗するスタイルで有名だ。そのせいか、馬群の前後でひとり(1頭)ポツンしていることも多い。典さんの騎乗スタイルを語る上で欠かせないレースといえば、あのゴールドシップの鞍上で臨んだ2014年の宝塚記念だろう。
ゴールドシップについて聞けば、100人が100人「気性が激しく気分屋で難しい馬」と答える。実際、鞍上で手綱を取ったどの騎手も苦労していた。宝塚記念の連覇がかかるゴールドシップへの騎乗依頼を受け、典さんはまず「馬を理解し自分を理解してもらう」ことから始めた。自身の本拠地である美浦から栗東まで、片道5時間はかかる距離を3週間通ったそうだ。調教ではなく会話をするために。典さんは言う「ぼくは乗せてもらう立場だから、馬に『お願い』するの、気分よく走ってもらうために」。見事に連覇を決めて戻ってくると、取り囲む報道陣に「勝因は馬がきちんと走ったということ」と返す。管理する須貝調教師も「まさに人馬一体」と絶賛した。大学のラボの中での教員の役割も同じ。
ご存じの通り、SFC では学部の早い時期からラボに所属し、ディープな研究活動に参加することができる。私のラボ(SFC Sociable Robots Lab.)も同様。学部1・2年生のうちからラボの門を叩く学生は多い。正式なメンバとなる前に聴講(インターン)を希望する学生もいる。未来構想キャンプをきっかけに、高校生インターンとして研究活動に関わる子もいる(未来構想キャンプフォローアッププログラム)。学生個々の研究テーマは、企業や自治体との共同研究として設定する場合を除けば、基本的に学生本人が探しだし、当該年度の研究計画を立て実施する。学部生であれば山岸学生プロジェクト支援制度や教育奨励基金制度等を利用して、大学院生であれば森泰吉郎記念研究振興基金や JST SPRING / BOOST 等を活用して、学生自身である程度の研究予算を確保することも推奨している。言ってみれば、知識と研究スキルの獲得、研究スタイルの確立、研究成果の生産を同時に進行させるのが、SFC のスタイルなのだ。
それだけに油断をしていると、せっかく面白い研究対象を見つけたのに、気付けば明後日の方向に突っ走ってしまっている学生が出てくる。まさにゴールドシップの如く。実にもったいない。学生からしてみれば、そんなときに一緒に頭を抱え、正しい(と思われる)方向に軌道修正をしてもらうために、SFC の大学教員はいるのだろう(と勝手に思ってしまうのは驕った考えだろうか)。「おーい、そっちじゃなくね?」と。政策・メディア研究科歴代委員長のおひとりでもある徳田先生(現情報通信研究機構(NICT)理事長)は、そんな教員の役割を「sheep dog」と表現していた。言い得て妙だ。
もちろん説教ではないので、こちらのスタイルや方法論、予期されるアウトプットを学生に押しつけるわけにはいかない。議論が必要だ。学生ひとりひとり、性格も研究スタイルの個性も異なる。それこそ、ひとりひとりと対話をしながら、その学生との接し方を探っていく。逆に学生から学ぶことも多い。失敗したことも幾度となくある。この辺りのプロセス、対話の中での相互理解と共通基盤構築のプロセスは、ラボの中での重要な研究テーマのひとつだったりもする。
冒頭のダノンデサイルに関してもうひとつ。実はこの馬、クラシック馬としての大きなつまずきを経験している。初戦の皐月賞。パドックでの騎乗から本馬場入場、返し馬、ゲート前の輪乗りという一連のルーティンの中で、鞍上の典さんは右前肢のわずかな跛行を感じ取り、発走直前に騎手の判断で競走除外を決断した。ダービーを制した後の勝利騎手インタビューで、典さんはこう答えた「自分の決断と厩舎スタッフの馬の作り方に間違いはなかった、真摯に向き合えば馬は応えてくれる」。実に典さんらしい。このエピソードに強引に結びつけるわけではないが、学生にある種の引導を渡すことも大学教員の責任のひとつだ。
私のラボは Social Robotics を主題としている。学生たちはそのことを理解した上で、様々な研究課題やフィールドワークに取り組んでくれているが、明らかな知識不足とスキル不足から、先が見えない状況に陥ってしまう学生はどうしても現れる。溢れる情報の中で、方向性も姿勢も見失ってしまう「研究ホワイトアウト」ともいえる状況だ。時間に余裕があれば、不足している知識とスキルの修得に時間をかけるよう軌道修正を試みるが、中には切羽詰まってからそのことに気付く学生もいる。議論を尽くしても出口が見えないこともある。こうなると、一旦立ち止まるしかない。現状を一度リセットし、新たな研究テーマを模索することもあれば、他の教員の研究会の履修や、私のつながりの範囲で他学部や他大の教員の指導を受けるよう勧めることもある。とにかく一度、立ち止まらせる。相手が大学院生ともなると、対応はよりシビアになる。
と、書いてはみたものの、このことを伝えるのは本当に難しい。恨まれるのは覚悟の上、ではある。それでも毎度毎度キリキリと胃が痛くなる。だからこそ「ひとりひとりと対話をしながら、その学生との接し方を探っていく」姿勢が大事なのだろう。
典さんは凄いな。
P.S. 高校生、高専生の皆さん、こんな感じの大学での学びと研究を、その身をもって体験してみませんか?今年も未来構想キャンプ、やります!ワンデイの体験型ワークショップから2泊3日のガチの研究参加型ワークショップまで、今年もいろいろと取り揃えています。詳細は下記 web サイトをご確認ください。皆さんのご応募、お待ちしてますっ!!