MENU
Magazine
2024.07.02

祭り|健康マネジメント研究科 公衆衛生・スポーツ健康科学専攻長 前田 正一

今日は、6月9日、日曜日。宿題(おかしら日記の執筆)があったことを思い出し、パソコンを開くが、いつものように筆が進まない。気休めにテレビをつけてみると、偶然にも生まれ故郷の祭りが放映されていた。この祭りは、10台ほどの山車が川の中に入って対岸に渡り、翌日、再び川の中に入り戻ってくる「川渡り神幸祭」と呼ばれる、九州・福岡のまつりである。毎年5月中旬に行われ、幼いころから参観していた。

私の故郷に限ったことではなく、日本では、各地で大小様々な祭りが行われている。私が育った地域(「むら」と呼ばれていた)にも川渡り神幸祭とは別に小さな祭りがあり、私は、小学生の頃は山車の中で鉦や太鼓を叩いていた。この祭りも初夏に行われ、子どもたちは新学期が始まると、放課後に、むらの鎮守の森(小丘)に集まり、鉦や太鼓の練習をはじめる。その場所が高台にあることから、鉦や太鼓の音がむら中に響き渡り、むらの人々は初夏の到来を感じ始める。当時は、農作物の栽培も鉦音などが頼りにされていたことがあったようであり、「鉦の音が聞こえ始めたので、〇〇の種をまく」など、そんなこともよく耳にしたものだ。子どもたちが鉦や太鼓の練習をする一方で、大人たちは、山車の飾りを作り始める。この飾りは、竹を割いて作った10mほどのしなやかな棒に、左右からいくつもの切り込みを入れ、はたきの先のようにした色紙を貼り付けたものである。それを山車の上部から四方へ垂らす。いま思えば、稲穂のようになっており、もともとは五穀豊穣を祈願したものだったのではないかと思う。この時期には、むらの人々は、老若男女を問わず、毎夜のように集い、飾りを作りつつ会話を弾ませている。ときには各家庭の産物をお裾分け、交換したりする。これは、このむらに育まれてきた暮らしの一場面であり、私の故郷では、この祭りの後も、お盆の行事や、秋の収穫の行事、歳神様を迎える歳の瀬の行事と続いていく。

祭りをはじめとしたむらの行事は、なぜか子供たちの心に刻みこまれ、それは大人になってからも故郷への想いを強くさせるようである。上記の番組の中でも、祭りへの想いが強くなり東京からUターンしたという男性が紹介されていた。私もしばしば故郷の行事を懐かしく想い、なぜか今でも毎年、その日に仕事の予定を入れることを躊躇し、帰省を試みようとする(実際には、いつも用事が入り実現したことはない)。

祭りとは何だろう。インターネット上で「まつり」と入力すると、「祭り」の他、「奉り」や「祀り」、「政り」などの文字が示され、それらの説明がなされている(ちなみに私は無宗教者であり、年末年始には、クリスマスケーキを存分に食べ、除夜の鐘つきでお寺に行き、初詣で神社に行く)。ここは日記の場であり、「祭り」の言葉の成り立ちなどを論ずる場ではない。起源が何であれ、各地の祭りは、その地域の人々によって長く受け継がれてきたものであり、今も人々を集わせ、人々の絆を強くさせ、人々に集った場への想いを深めさせている。次世代に繋ぐべきものである。
日本の各地で人口減少が進んでいる。私の故郷も例外ではない。むらの伝統を守り、次の世代に繋ぐためにはどうしたらよいか。東京での暮らしの方が随分と長くなった私が軽々しく按じ論ずると叱られそうであるが、日曜日の朝からそんなことを考えたりした。「むらおこし」などと聞くことがあるが、これもそんなに簡単なことではないだろう。そんな思いを抱きながら、今また、手帳の裏表紙に載っている来年のカレンダーを眺めている。

追伸
ところで、上記の番組はNHKが制作したものであり、その題名は「小さな旅」である。時々、視聴することがある。テーマ曲に心を打たれ、以前より、どのような方が作曲されたのかと、少々気になっていた(音楽には縁遠いため、恥ずかしながら今まで知らなかった)。今回、番組のエンドロールを確認してみたところ、大野雄二さんによるものであった。つい最近には、同じく作曲家の千住明さんや若松歓さん、バイオリニストの千住真理子さんなどを遠くから拝見する機会があった。何れも塾の卒業生である。今日は、塾が多様な人材を輩出していることを改めて強く実感した日でもあった。

ということで、前回に続き、とりとめもない、2024年6月9日の日記でした。

前田 正一 健康マネジメント研究科 公衆衛生・スポーツ健康科学専攻長/教員プロフィール