夏休みに入って少し時間ができたので、数年にわたって堆積していた書類を整理し始めた。どこでどう混ざり込んだのかさっぱりわからないのだが、SFCの初期のパンフレットが出てきた。
初期といっても、表紙に「認可申請中(1990年4月開設予定)」とあるので、開設前の1980年代後半のものだろう。高校生だった私が受け取ったとは思えないし、このパンフレットだけ最近の書類に挟まっていたので、誰かからもらった引き継ぎ資料とも思えない。そういう意味では本物かどうかもわからないが、偽物を作る意味もないので本物だろう。
興味深いのは、「若者は未来からの留学生」というキャッチフレーズがもう使われていることだ。初期のSFCではこの言葉が頻繁に使われた。開設から34年経ち、初期のSFCで学んだ皆さんは現代において活躍している。
キャンパスのスケッチも掲載されている。現在の姿とほぼ変わらないが、大学院棟のタウは、三つの四角い建物の連なりとして描かれており、実物のタウとは随分違う。ここは後でデザインが変わったのだろう。
総合政策学部には、政策管理コース、社会経営コース、国際政策コースという三つのコースが見られる。環境情報学部には、知識情報コース、人間環境コース、メディア環境コースの三つが示されている。それぞれよくわかるコースだが、今ではこれらの言葉は使われていない。
現在はSFC研究所に統合されているが、当初は、総合政策研究所、環境情報研究所、言語コミュニケーション研究所という三つの研究所が設置された。現在の心身ウェルネスセンターは、当初、心身トレーニングセンターとされていたようだ。
カリキュラム基本構成の概念図もおもしろい。「政策・メディア研究科」の名前はまだないが、当初から大学院への進学がセットで考えられていたことが推測できる。しかし、現在ではSFCの教育の中核となっている「研究会」が見当たらない。当初は他学部と同じく、3年生から研究会(ゼミ)に参加する形式だったが、やがて1年生からでも良いではないかとの議論が高まり、今では卒業プロジェクト(論文または作品)とセットで中心に置かれるようになった。
「キャンパスの立地・環境」の説明では、周辺の健康と文化の森構想と合わせ、イベントスタジアム、イベントホール、インテリジェントセンターの設置が見込まれていたようだが、これらの約束はまだ果たされていない。インテリジェントセンターとはどんなものを想定していたのだろう。
さらには湘南台駅と辻堂駅の「両駅を結ぶ新交通システムが予定されています」とあるが、この構想は別の形に変わっている。両駅の間は神奈川中央交通がバスで結んでおり、湘南台駅からキャンパスの前を通って西へ延びる鉄道が現在の私たちの期待だ。
裏表紙には、慶應義塾のペンマークと並んでSFCのロゴマークが入っている。初めて見たが、初期には使われたのだろうか。今ひとつ何を意味するのかわからない。地球なのかコマなのか。慶應義塾藤沢新学部開設準備室に聞いてみたいが、もうその内線番号は使われていないようだ。