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2024.08.29

パリオリンピック 喝采!北口選手|健康マネジメント研究科委員長 石田 浩之

8月11日,パリオリンピックが閉幕した.小生は運営サイドの一員として2020東京オリンピックに関わったが,ご存知の通り同大会は無観客開催となり,実体験を残すことなく淡々と終わってしまった.画面越しであっても観客の熱狂を感じられたパリ大会を見て,やはりスポーツはこうあるべきと感じたのは私だけではないだろう.新国立競技場で行われた閉会式にも同席したが,全てが終わってしまうようなあの演出を見て,3年後のパリではマスクも,社会的距離も関係なく,こんな盛大に大会を行えるなんて誰も想像できなかったに違いない.しかし,フランス人はやり切った.Bateaux Mouchesに乗った入場行進も,パリの街全体を総動員した開会式演出も,そして極め付けはセーヌ川でのトライアスロンとオープンウォータースイミングも,全て有言実行したのだからお見事と言うしかない.今回の大会ではコロナは過去のものとなったが,テロ行為が新たな脅威として挙げられていた.学生の皆さんが生まれるはるか以前,オリンピックはテロの標的となった辛い経験がある.竹田恒和先輩も馬術競技で参加された1972年ミュンヘン大会だ.同大会では選手村に潜入したパレスチナゲリラによってイスラエル選手団の宿泊棟が占拠され,選手たちが人質に取られた上,人質全員が死亡するという痛ましい事件が起きたのである.パリオリンピックの最中も世界では局地的戦争や民族紛争がliveで続いているだけに,ミュンヘンの悪夢が再現されるのではないかという不安は払拭できなかったが,大会初期に鉄道が混乱する小規模テロはあったものの,その後は大過なく乗り切った.国家の威信をかけた危機管理もこれまたお見事と言えるだろう.ちなみにミュンヘン大会の出来事に興味を持った学生諸君はスピルバーグの映画「ミュンヘン」(2006年)(テロのあと何が起きたか!?が描かれている)を推奨する(加えて,NHK映像の世紀バタフライエフェクト「イスラエル」,「オリンピック聖火と戦火」,「カラシニコフ銃1億丁」をアーカイブで見れば,今,中東で起きている戦争の解釈がより深まります).

さて,私が専門とするスポーツ医学の分野では,オリンピックにおいてもう一つの戦いがある.ドーピング(doping)コントロールである.競走馬に違法に興奮剤を飲ませる行為をdopeというが,これから転じて,選手(人)に対して競技能力向上目的で違法に行われる薬剤投与やその他の手技,ならびにそれを隠蔽しようとする行為を総称してドーピングと呼んでいる.「ドーピングってそんなに効くんですか?」という質問をよく受けるが,ある種の競技には強烈に効く,だから取り締まらなくてはならないのである.過去,複数の国では国威発揚目的でドーピングが組織的に行われてきたことはもはや周知の事実だが,その背景には薬剤検出技術の未熟さがあったと想像する.

ところで,様々な競技の世界記録を見てみると,多くの種目では経時的に世界記録が更新されているが,一部の種目では1980年代に作られた記録が依然,君臨するケースが散見される.たまたまこの時代に傑出した選手が誕生したという見方もあろうが,ドーピングが効く種目が多いことを鑑みると,検査をすり抜けた結果と見る意見が多い(もしかしたら,今後も破られることはないかもしれない).ここに面白いデータがある.2004年アテネ大会での全陸上競技の優勝記録を見てみると,世界新記録は一つも出ていない(110メートルハードルに世界タイがあるのみ).過去の大会に比べて軒並み低調な記録となったわけだが,特にドーピングの効果が出易い投擲競技(槍,ハンマー,円盤,砲丸投げ)では低調傾向が強かった(世界記録に対して-10%前後低調).これをどう解釈するか? 実はこのアテネ大会はドーピング検査における潮目が大きく変わった大会であり,アンチ・ドーピングの統一ルールである「世界アンチ・ドーピング規程」が適用され,最新の検査技術も導入された.つまり,世界アンチ・ドーピング機構や国際オリンピック委員会が本気でドーピング根絶に取り組んだ大会なのだ.事実,陸上投擲競技では複数の選手がドーピング違反のため失格している.ハンマー投げの室伏広治選手がこの措置によって繰り上げ金メダルとなったことを覚えている方も多いだろう.

低調傾向の背景にはアテネ大会から検査が厳しくなることを想定して,dopeの力を借りていた選手たちが薬物使用を控えたのではないか?と私は推測する.もちろん,すべての記録がクスリによって作られたと言うつもりは毛頭ないが,これまでドーピングをしている者と,していない者が混在して競技を行うという不公平な状況がようやく是正される流れになったのである.前述の如く,わが国では室伏広治選手というレジェンドが存在するが,陸上投擲競技はある時代までは旧東側諸国の独壇場であり,日本選手がメダル争いに絡むことはなかった.しかし,ドーピングコントロールの進化と厳格化により,アテネ以降,日本人であっても"正当に"勝負できる時代が到来し,そして,パリ大会では女子槍投げで北口榛花選手が見事金メダルを獲得するに至った.まさに日本陸上界の歴史を切り開く偉業を達成したわけだが,個人的には陸上投擲競技でも,いよいよ多くの日本選手が勝負できるようになったことに深い感慨を覚える.

北口選手が決勝で放った槍は,未来少年コナン(宮崎駿監督)が投げた槍のごとく天空を切り裂き,美しい弧を描いて65m80cmの彼方に突き刺さった.金メダルが決まり,勝利者の鐘を歓喜しながら鳴らす彼女の姿をみて,感動を覚えない日本人はいなかっただろう.試合後のインタビューでのコメントも素敵だった.「夢の中では何度も70mを投げているから,これを叶えるようにがんばる」と.論文が掲載されても,研究費が採択されても,あのような背筋がゾクゾクするような感動を見ている者に与えることはできない.やはりスポーツは素晴らしい.研究科委員長としては不適切な表現かもしれないが,スポーツの世界に身を置く一人のスポーツドクターの所感としてご理解いただきたい.

石田 浩之 健康マネジメント研究科委員長/教授 教員プロフィール